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学歴・年収に価値を見出す競争社会に。時時勤払拭(じじにつとめてふっしきせよ)

暮らし
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  • 学歴
  • 職歴
  • 年収
  • 保有資産の額
  • 高級な服・モノを持っているか否か etc.,

このような基準で、自分自身や他人様の価値や幸福度を見出し比較する、競争社会。

しかし、このような物は何を語るのでしょうか。

あなたも他人と自分自身を比較していませんか?

自己嫌悪になっていませんか?

理不尽な思いをして疲れ切ってしまったり、生きづらさを感じていませんか? 

社会に生きづらさを感じている方は、心に溜まった塵・埃を掃除することで幸せになれると私は思います。

本日は、禅語「時時勤払拭じじにつとめてふっしきせよ」、心の掃除の仕方についてご紹介いたします。

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心に塵と埃を溜めていませんか?

時時勤払拭じじにつとめてふっしきせよ」という言葉は、中国の禅僧、神秀が説いた言葉。

身は是れ菩提樹 心は明鏡の如し、時々に勤めて払拭し  塵埃を惹かしむ莫れ

中国の禅僧<br>神秀
中国の禅僧
神秀

この言葉の意味は、我々人間は、生まれながらにして仏の心を持っており、その心は鏡と同じく日々磨かなければ曇ってしまうので、塵や埃が溜まらないようにこまめに心の掃除を行いましょうという意。

人は生まれながらにして仏の心を持っているはずなのに、この社会の中には、驚くほど私利私欲にまみれ、相手に意地悪する人や自分勝手な言動をする人がいます。

そういう貪りむさぼり”をはじめる人の心には、たくさんの塵や埃が溜まっているのです。

“心に溜まる埃や塵”というのは、具体的にどんなものでしょうか…一覧にしてみました。

心に溜まる塵や埃となるもの

欲や煩悩
  • 高級住宅街に住みたい
  • ブランド物を身に着けたい
  • 女性・男性にモテたい
  • 地位、名声、お金が欲しい etc.,
自己嫌悪、妬みなどのネガティブな感情
  • あいつより年収が高いの悔しい
  • あの人より貧乏なのが悔しい
  • あの人ばかり待遇されてズルい
  • あいつは気に食わないから潰してやろう
  • あいつに勝って、あいつより上に立ちたい
  • 地位、名声、お金を利用して他人を利用する
  • 自分にはできないという自己否定や自己嫌悪 etc.,
競争社会
  • 学歴が高いか低いか
  • 職歴がいいか悪いか
  • 年収が高いか低いか
  • 家が広いか狭いか
  • 乗ってる車は高級車か否か
  • 持っている物・身に付けている物が高級か否か
  • 美人か否か etc.,

心に溜まる埃や塵というのは、人間ならではの欲や煩悩、怒り、競争社会が生み出した順位や価値の基準といったもの

人間にとって上記のような欲や煩悩というのは切っても切れない存在であり、それらは、本来、悪いものではありません。

なぜなら、人は『欲』や『煩悩』の力によって、自分が叶えたい夢や実現したい目標が生まれ、それらを実現させるための努力というエネルギーが生まれ、何かが解決したり改善し、時に失敗することで、自己の成長や誰かの幸せあるいは社会全体の幸せに繋がるからです。

しかし、欲や煩悩の扱い方を間違えると、『欲』や『煩悩』が、心の塵や埃と変わるのです。

欲や煩悩が心の塵や埃となる瞬間…それは、金銭欲や地位名声などを貪り、驕り高ぶるようになったときです

手に入れた地位や名声におごり高ぶり、傲慢になったり、自己保身に走ったり、自己利益の為に人を貶め入れたり利用したり、仏教の教えにある”心の三毒”と言われる貪瞋痴とんじんちを生み出した時に、”塵や埃”となるのです。

心の三毒、貪・瞋・痴

仏教の教えで、心の三毒として、「貪瞋痴とんじんち」があると言われています。

貪(とん)

貪とは、字のごとく、「むさぼ」のことです。

特に、地位、名誉、名声などを欲しがる「権力欲」、金や財産などを欲しがる「金銭欲」、女や男を欲しがる(色欲)、物を欲しがる(物欲)をむさぼる貪欲のことです。

人間と欲と煩悩は切っても切れないものと上記でお伝えしましたが、「むさぼり」は、欲や煩悩がみたされることはなく、いつまでも自己の私利私欲のために人を貶め入れたり、自己保身に走ったり、奪ったりしてまでも、自己の欲や煩悩を満たそうすることです。

瞋(じん)

じんとは、怒り、妬み、嫉み、憎しみといった感情です。

自分の欲望が叶わない、自分の思い通りにならないからと言って、人を妬んだり、嫉妬したり、怒りを爆発させる方もいます。また、被害を受けたことにより、加害者へ強い憎しみを抱く人もいます。

この世の中には、悲しいかな、理不尽なことも多く、皆さまも一度や二度と言わずたくさん理不尽な目に合われた方も多いかと思います。しかし、そんな理不尽や不平等に出会ったとしても、怒りを抑えることが尊いのです。

といっても、理不尽な目に合わされたら、「相手を許す」だなんて、そんな美しいことは言ってられないものですよね。私もそう思っていました。

しかし、この世は怨憎会苦おんぞうえく。嫌いな人と出会ってしまうことは避けられません。憎い相手を許すことしか自分を救えないのです。

\怨憎会苦とは何か/

痴(ち)

とは、おろかさのことです。

仏教には、一切皆苦いっさいかいくという言葉があります。一切皆苦とは、人生は思い通りに行かないということ。

人生は思い通りに上手くいかないことを知り、私利私欲や苦しみを捨て、真理を知り、煩悩や苦しみを手放した境地(涅槃寂静ねはんじゃくしょう、という)を目指すべきという、教えがあります。

涅槃寂静の境地に立つと真理が見えてきますが、真理を知らず、道徳心を忘れ、煩悩にまみれながら傲慢な人間となり、思い通りにならないと愚痴をこぼし、怒りを爆発させたり、同じ過ちを繰り返す愚かさ(痴)を持つのは辞めましょう。

心の塵や埃、貪瞋痴を”この世”から無くすことはできない

人間である以上、この競争社会に漂う塵や埃や貪瞋痴とんじんちというものを社会レベル無くすことは不可能です。しかし、一個人レベルであれば、”心の掃除”を行うことで、心に溜まった塵や埃、貪瞋痴を無くすことはできると私は思います。

では、”心の掃除方法”は十人十色ですが、抜本的に心の掃除をしたいのであれば、下記の方法を試してみてください。

(抜本的に)心の掃除をする方法

人と比較すること、競争することを辞めよう

周囲を見渡すと、下記のような”競争”が繰り広げられていると思いませんか?

  • 美味しいお店ランキング
  • 好感度No.1芸能人
  • 社内売上達成者
  • 人事考課
  • 学歴ごとの給料レンジ
  • 年収が高い企業TOP10
  • 旦那様の学歴と年収
  • 乗ってる車
  • 住んでる場所
  • 住んでる家の大きさ、
  • 美人か否か… etc.,

自分はなんとも思っていなくても、相手側が勝手に「俺の方が年収高い」「私の方があの人より美人」と”競争”をしていることもあります。中には、自ら他人と競争して、自己嫌悪になる人もいます。

この世には競争社会は存在しており、学歴や年収の高さや地位や名誉をもって、「その人が優れている証」、「その人は豊かである証」とされているのは事実です。

しかし、自分は学歴が高い、自分は仕事ができる、自分は年収が高いだ、自分の家は広いだ、自分は美人だ、乗ってる車は高級外車だなんだ…。あなたの価値がすべてそこで決まるのでしょうか。

自分は学歴が低い、自分は仕事ができない、自分は年収が低い、自分の家は狭くてぼろい、自分はブスだ、乗ってる車なんてなく車さえ持てないだなんだ…。人生のすべてがそこで決まるのでしょうか。


競争社会が決めた価値観で、人生や自分の価値が決まることはないと私は思います。

逆に、そういった価値観が、地位、名声、お金といった欲や煩悩を増やし、望んだものが手に入らなければ、癇癪を起し、人を妬み、恨み、自己嫌悪になったりといった、心身消耗と心穏やかな暮らしを失う要因になっていると思います。

仏教には「天上天下唯我独尊」という言葉があります。

それは、「私が一番偉いんだ」という傲慢な意味ではなく、人は、生まれながらにして尊い存在であるという意味です。

生まれながらにして尊いわけですから、欲・煩悩に心を囚われ、順位に囚われ、持っている持っていないに囚われ心を消耗させる競争社会から自分を救うことで、自分らしさや心穏やかな暮らしを取り戻せると思います。

この世の恵みに感謝する

心に溜まった塵や埃を取り除くために、山や川、晴れの日や雨の日、あなたの家にあるお花や植物や食べ物など、我々の身近にある命や恵みに思いをはせてみましょう。

雨が降れば、雨音を聴く。曇りの日があれば、雲の流れを見つめてみる。

晴の日であれば、日差しやそこに吹く風を感じてみてはいかがでしょうか。

自然の恵みや命を感じ、感謝することで、我々は一人で生きているのではなく、生かされていることを知るでしょう。

また、自然の恵みや命を感じ、感謝することで、あなたの心に仏が宿っていることにも気が付くと思います。

仏教の教えに触れてみる

欲や煩悩とは何か、自分も含め人とは何か、幸せとは何か、苦しみとは何か…

常に問い続け答えを導き出そうとしているのは、昔からお寺の僧でした。

我が国には、最澄、空海、法然、親鸞聖人、道元、他、名高い僧の教えが数多く残されています。

現在、その”教え”がより分かりやすい現代の日本語に訳され、本として出版されています。

\仏教の教えを優しく現代の生き方に取り入れる本/

書物が難しいと感じる場合は、より手軽に映画からいかがでしょうか。

私が観て感動し、泣いてしまった、仏教映画は曹洞宗の開祖、道元を主人公とした映画「禅」です。

何回も見ているのですが、毎回泣いてしまう映画。

欲や煩悩、人の愚かさとは何か、我々はどう生きていくべきなのか…この映画ひとつで分かり、考えさせられます。

美しい映像と音楽、すばらしい役者さんの演技が皆さまの心を洗ってくれることでしょう。

ぜひ、一度ご覧ください

心に積もった塵や埃を取り、心に宿る仏を大切に

この世では、学歴、地位、名声、お金、外見、持っている物、上手い・下手などといった基準で、人としての価値や人生を決められてしまう傾向が見えます。

我々は、こういった競争社会に取り残されないように、身と心を消耗しながら、強制的に競争に参加させられ、それが時に圧力となり、本当の幸せや心を見失ってしまわれている方も多くいるように思います。

しかし、下手であることや仕事ができないことは、本当にいけないことなのでしょうか。

下手や仕事ができない人がいたら、責めたりバカにしたり笑ったりして、「あとは知らない、勝手に自分で成長してくださいね」と見捨てる方が多いように思うのですが、下手や仕事ができないことよりも、責めたりバカにしたり笑ったりすることの方が尊いことなのでしょうか。

お金や学歴がないと、本当の幸せを手に入れられないのでしょうか。

『学歴がない』というだけで、年収レンジが決められてしまったり、逆に『学歴がありすぎる』という理由で、上司からパワハラ・モラハラされあたり、『人の上に立つ人間(i.e., 社長、執行役員、部長、課長、医者や弁護士など”肩書”を持った人間、他)』なのに、仕事もろくにしないで、パワハラ・モラハラして高額な年収をもらったりと、世の中は理不尽なことばかり。

お金や学歴がない人より、人にパワハラ・モラハラしたり、マウントとったり、俺は偉い!とふんぞり返って人を貶める人の方が尊いのでしょうか。

地位、名誉、名声、お金、あれが欲しい、これが欲しい、それらが手に入らなければ癇癪を起し、人に嫌がらせしたり、蹴落としたり、八つ当たりしたり、愚かな言動を繰り返す…こういった欲や煩悩、心の三毒と言われる貪瞋痴とんじんちが、社会に降り積もり、その社会に住む我々人間の心にも塵積もり、それら塵や埃をこまめに取り除く努力を怠れば、真理を見失い、心穏やかな暮らしを失うのです。

そうならないよう、一個人が、競争社会の圧力や欲や煩悩に惑わされることなく、日々、あなたの心に溜まった塵や埃を取り除きながら、自らの心に宿る仏と共に、自分自身をまずは大切に過ごしていってほしいと思います。

\こちらの記事も参考に/


参考資料:
葬儀のデスク、『一切皆苦(いっさいかいく)とは|釈迦が悟った教えを口語で解説』 

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