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加害者にセカンドチャンスはあるのか

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前回の記事では、私が身近で聞いた因果応報かと思われる実話と、私が思う因果応報の特徴について書きました。 

最近、『因果応報ってのはあるもんだなぁ』と思うようなニュースを見聞きするようになったと感じています。

今回のブログでは、下記二点について私なりの考えをまとめてみました。

  • 因果応報を受けた人はその後どうなるのか
  • 加害者(悪い種を蒔いた人)にセカンドチャンスはあるのか
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悪い種を自ら刈り取った人は、どうなるのか

皆さんは、因果応報を受けた加害者は、その後、許されると思いますか?

他の言葉に言い換えるなら、彼ら(加害者)に人生を立て直すセカンドチャンスはあると思いますか?

このあたりの『答え』については、あなたが被害者の立場(被害者家族含む)なのか、加害者の立場(加害者の家族含む)によって変わってくるだろうし、どちらの立場でもない人にとっても、このあたりの答えを見つけるのは、難しいですよね…。

私自身も、その『答え』が見つかりませんでした。

あえて言うなら、その『答え』というのは、加害者自身で見つける他ない、それが答えなのかもしれません。

被害者の中には、セカンドチャンスがない人もいる

この世では、法律や一般常識というものが犯罪を犯す抑止力になっている部分があります。

しかし、そこを逸脱し悪事を働く人がいるから、被害者と加害者という立場が生まれ、被害者は加害者から受けた傷を抱えながら一時期或いは一生を過ごす人がいるのです。 

被害者には傷ついた心をなかったことにする『セカンドチャンス』なんてない一方、加害者は、人生をやり直す『セカンドチャンス』を求め、それが与えられることもあるのです。

被害者の中には、自ら命を絶たれた方もいると思いますが、その方においては、今世では『セカンドチャンス』なるものはありません。

自ら命を絶たれていなくとも、失った物はずっと失ったまま人生立て直すセカンドチャンスもなく苦しいまま人生を歩いていかなければならない被害者もいるのです。 

被害者の苦しみをよそに、加害者がセカンドチャンスを求めそれを手に入れる加害者もいます。

一方で、被害者も世間も、加害者の行いを許さず、セカンドチャンスを与えられることもない加害者もいます。

そんな社会で、セカンドチャンスを与えられようがいまいが『加害者はどう生きるか』、それを考え、行動に移しながら寿命を全うしていくのが、まさに加害者が与えられた『課題』だと私は思います。

そして、因果応報を受けた加害者はその後どうなるのか、許されるのか、その問いへの『答え』は、加害者本人が見つけ出していくほかないのだと私は思うのです。

仏教の教えから見る加害者の存在 

仏教の教えに、天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそんという言葉があります。

この言葉は「自分だけがこの世で一番尊い存在だ」というような傲慢な意味ではありません。

「この世に生まれたすべての人間が尊い」という意味です。

世間一般的には、加害者に向ける目は、決してよいものではありません。

しかし『天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん』ならば、お釈迦様からしたら、加害者でさえも、被害者同様、尊い人間です。

加害者が許されるか否か、そして”セカンドチャンス”を与えるか否かを判断するのは、我々人間でもなく、我々人間が作り上げた社会でもなく、加害者自身が生まれてから現在までの一連の流れを全て見ておられたお釈迦様だけ、なのかもしれません。

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