因果応報を受けた人は、その後どうなるのか。許されるのか。

暮らし
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皆さま、いかがお過ごしでしょうか。

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結艸庵ゆいそうあん(@yuisoan2020)です。

皆さんは、因果応報は必ずあると信じていますか?

前回書いた関連記事

ニュースを見ていますと、最近は『因果応報』ってのはあるもんだなぁと思うようなニュースが出てくるようになったと個人的に感じています。

今回のブログでは、因果応報を受けた人というのは、その後どうなるのか、セカンドチャンスはあるのか、について私なりの考えをお伝えしたいと思います。

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悪い種を自ら刈り取った人は、どうなるのか

Image by annawaldl from Pixabay

因果応報を受けた加害者は、その後、許されると思いますか?

彼らに人生を立て直すセカンドチャンスはあると思いますか?

このあたり諸々考えてみたのですが、私にはその”答え”について何も見えてきませんでした。

もしかすると、加害者自身でお答えを見つける他ない、それが答えなのかもしれません。

この世では、法律や一般常識というものが犯罪を犯す抑止力になっている部分がありますが、そこを逸脱して、被害者と加害者という立場が生まれ、被害者は加害者から受けた傷を抱えながら一生を過ごす人もいるのです。 


被害者には傷ついた心をなかったことにする”セカンドチャンス”なんてない一方、加害者は”セカンドチャンス”を求め、それが与えられることもあるのです。

被害者の中には、自ら命を絶たれた方もいると思いますが、その方においては、今世では『セカンドチャンス』なるものはありません。

自ら命を絶たれていなくとも、失った物はずっと失ったもののまま、苦しみの中、セカンドチャンスもなく人生を歩いていかなければならない被害者もいます。 

被害者の苦しみをよそに、加害者がセカンドチャンスを求めそれを手に入れる加害者もいますし、被害者も世間も、加害者の行いを許さず、セカンドチャンスを与えられることもない加害者もいます。

そんな社会で、セカンドチャンスを与えられようがいまいが『加害者はどう生きるか』、それを考え行動に移しながら寿命を全うしていくのが、まさに加害者が与えられた『課題』だと思います。

そして、その答えは、加害者本人が見つけ出していくほかないのだと私は思います。

仏教の教えから見る加害者の存在 

Photo by Nandha kumar PJ on Unsplash

仏教の教えに、天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそんという言葉があります。

この言葉は「自分だけがこの世で一番尊い存在だ」というような傲慢な意味ではありません。

「この世に生まれたすべての人間が尊い」という意味です。

世間一般的には、加害者に向ける目はよいものばかりではありません。

しかし、『天上天下唯我独尊てんじょうてんげゆいがどくそん』ならば、お釈迦様からしたら加害者でさえも、被害者同様、尊い人間です。

加害者が許されるか否か、そして”セカンドチャンス”を与えるか否かを判断するのは、我々人間でもなく、我々人間が作り上げた社会でもなく、加害者自身が生まれてから現在までの一連の流れを全て見ておられたお釈迦様だけ、なのかもしれません。

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