皆さま、いかがお過ごしでしょうか。
結艸庵(@yuisoan2020)です。

身の回りにこんな人いませんか?
- 人を騙してお金を得ている男性・女性
- 人を貶め入れようとする男性・女性
- 人をいじめたり嫌がらせする男性・女性
- パワハラ・モラハラする男性・女性
人を潰し、傷つけるような人が、”人の上に立つ職業”などに就き、お金をたくさん儲け、裕福に、心穏やかに生活している…職場やプライベートのお付き合いの中で、このような人に一人や二人いるのではないでしょうか。
一方、人にやさしく思いやりを持ち接している人が、いじめにあったり騙されたりなど、真面目な方こそ、報われない人生を送っている方が多いように感じるのは私だけではないはず…。

あまりに理不尽で不平等な世の中に、『因果応報なんてない!』と思ってしまいますよね…。
皆さんは、因果応報は必ずあると思いますか?
因果応報とは、善い行いをすればよいことが、悪い行いをすれば悪いことが返ってくるという仏教の教え。
「業を刈り取る」ですとか「自業自得」といった言葉もありますが、皆さまの身近で、実際に業を刈り取った人の話を耳にされた方は意外と少ないのではないでしょうか。
因果応報の実話(人を傷つけた人の因果応報)
私は、身近な人から因果応報の実話を聞いたことがあります。
➀いじめの加害者の末路
学生時代に同級生にいじめをしていた人が大人になり、結婚し、子供を数人授かったそうです。
しかし、数年後に自宅が火事になり、お子さんが犠牲になった人がいたそうです。
いじめとの因果関係はないかもしれませんが、いじめを受けた人と同じように、心を殺されるような悲しみを背負うことになったようです。
➁地位やお金で、天狗になった人の末路
お金持ちで肩書もあるような人が、人の前で「俺は偉い!」という態度を取ったり、学歴で人を判断し、周囲を不快な思いにさせてきた人が、何十年という時を経て、老後は生活保護受給者になった方もいました。
あれだけ地位や学歴・職歴・税金を納めた金額を周囲に公表し、『文句があるなら税金〇千万円払ってから言え!』と大きな顔をしていた人が、今では真逆の生活となってしまったそうです。
「因果応報」には時差が伴う
上記、因果応報の実話は身近で起きたことですが、果たして本当に”因果応報”として起きたことなのかは分かりません。
仮に100%の確率で”因果応報によって引き起こされた”と仮定すると、上記実話に登場する二人に、因果応報として業が返ったのは20年以上もあと。
『因果応報』として業が返るのは、”時差”なるものがあるのかもしれません。
そして、”時差”を経て返ってくる業の特徴として:
ブーメランを投げたことも忘れるくらいの長い年月を経て、思わぬ時に、『巨大な』ブーメランがものすごい勢いとなって返ってくるように思います。

投げたブーメランがすぐに返ってくるような因果応報は、”被害が小さい”ように感じるのは私だけでしょうか…。
また、ブーメランが返ってくるタイミングは、被害者も、悪い種を蒔いた本人にも分からないということも、因果応報の特徴のような気がします。

因果応報が起こるタイミングは「神のみぞ知る」ということでしょうか…
「因果応報なんてないじゃないか!」と現在悔しい思いをしている方がいるかもしれませんが、相手に因果応報が返ってくるのは、近い未来ではなく数十年後なのかもしれません。
忘れたころに特大の因果応報が返るなんて、将来が怖いものです…。
因果応報は必ずある・おきるかは分からない
加害者が因果応報にあった話も、被害者がその後幸せになった話も聞かない
真面目に生きてきた方が、パワハラ・モラハラを受けた話や、詐欺に巻き込まれた等々、被害を受ける話はよく耳にしますが、加害者が因果応報にあった話は少ないと思いませんか?
私の身近で因果応報を受けたと思われる話を聞いたのは上記2つだけ。
それ以外で、身近であった因果応報の実話を聞いたことがありません。
(※テレビのニュースでは、最近になって因果応報と思われる話を多少耳にしますが)
また、被害者が被害にあった後、最高に幸せな人生を送っているといった話も今まで聞いたことがありません。
そんなことを考えていると、因果応報は、時差を伴って返ってくる可能性もありますが、しかし、”100%の確立で起こりうる”と断言できないものなのかもしれません。
もし、因果応報が100%確実に起こるとしたら、この世に理不尽や不平等はなく、もっと幸福な社会があるのかもしれませんね。
「ざまあみろ!」と思ってもいい
仮に、あなたを苦しめた相手に「100%因果応報」と思われることが返ってきたとします。
その時、皆さんならどう思いますか?
因果応報が返ってきた本人に対し、被害者が「ざまあみろ!」と思うのは品がないとか、それは相手と同等の人間だとおっしゃる方がいますが、私はそうは思いません。
一度、考えてみてほしいのですが、もし、あなたが相手から不快なことをされて、あなたの人生が狂い、長い間苦しみ続けてきたとしたとします。
そして数年後、あなたを苦しめた加害者に業が返り、相手が泣いて苦しんで辛い毎日を送ることになったとします。
あなたは、そんな加害者を心から許し、一人の人間として認めることができますか?

こんなことになってしまった。これは今までの業が返ってきたんだ…

どうやら本人苦しんでいるようね…ちょっと可哀そう…と、思えないのが現実
加害者が今まさにブーメランを受け、感じている苦しみに”共感”できるのは分かります。
(だってあなたも加害者から辛い仕打ちを受け、”苦しみ”を長年体験してきたのですから)
その苦しみによって、相手は心を入れ替え、あなたの目からも第三者の目からも「あの加害者は、本当に心を入れ替えた」と見えるかもしれません。
しかし、そこで加害者に対し同情して、相手を許したり寄り添ったり、『加害者も一人の人間だから…』と認めることは、どうなんだろうと私は思います。
加害者を一人の人間として認め、相手を許すということは、相手の幸せを願うことと一緒。
本当にそんなことできますか?
仮にあなたが、加害者を許したとします。そして加害者は、自分がしてしまった行動に対して、後悔の念に苦しみ、その苦しみの力をもとに事業を起こし、成功し、大金を稼ぎ、奥さんや子供と幸せになり、多くの人からは「正義感がある」ですとか「道徳人」と賞賛され、テレビや雑誌でも引っ張りだこになったとします。
そんな加害者姿を見て、被害者であるあなたは、相手を心から祝福できますか?
あなたの人生は、相手(加害者)に壊されてから何も変わらず失ったものは失ったまま…。
そんな状況でも、心から加害者を許したり『おめでとう』と祝福できますか?
長い年月を経て、加害者が心を入れ替えるかもしれません。
しかし、被害者というのは、生半可な苦しみを受けたわけではないと思うのです。
受けた被害の大きさ・被害者の苦しみの度合いによるところもありますが、上記を考えると、加害者に業が返った時に「ざまあみろ!」と思ってしまうことも、相手をずっと許さないでいることも、とても自然なことだと私は思います。
しかし、ざまみろと思うだけにとどめず、相手にひどい仕返しするのは違うと思います。
仕返しをすることで、あなたがまた新たに悪い種を植えることになってしまうのですから。
\今、被害を受けている人におすすめの本/
因果応報は必ずあると信じている
人を傷つけた人に対し、因果応報は必ずあると断言できるものなのかは、正直分かりません。
すごく現実的で冷たい言い方に聞こえてしまうかもしれませんが、「因果応報」や「業は返る」など、そういった言葉は、理不尽で不平等なこの世の中で生きていくための気休めの言葉なのかもしれませんし、被害者はやられ損なのかもしれません。
それでも、因果応報は必ずあると思います。
悪い人には悪い因果応報を、良いことをした人には良い因果応報を、辛い思いをした人は幸せを掴むのだと思います。
仮に因果応報が、現世で起らなかったとしても、その物事を行った「事実」だけは、”消すことができない事実”として魂に刻み込まれ、来世にも残ると思うのです。
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この”消すことができない事実”を持つことが、魂にとって幸・不幸を分けるものになるのだと私は思います。
”消すことができない事実”を持つならば、良いことをしたという消せない事実を魂に刻み込みたいものです。
そして、自分が行ったことに対してうしろめたさを持って生活するよりも、自分の行動によって、誰かを幸せにしたというゆるぎない自信と自分に誇りをもって、人生を生きていきたいものです。
映画から学ぶ人生の生き方
自分の生き方を見つめ直したい、傷ついた心を癒したいという方には、映画がおすすめ。
なかでも『禅』という映画は、自分の生き方を見直したい人、正したい人、理不尽とは何かについて知りたい人におすすめの映画です。
どんな映画もそうですが、映画には万人の生き方が描かれています。そこから学ぶことが多いことでしょう。映画を通して、自分の生き方を見つめ直し、傷ついた心を癒してみてくださいね。
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