お給料=我慢料という考え方は改めるべき
正社員で毎月安定した給料をもらって生活していくことは、ラクチンですし、心の安定にもつながります。
毎月安定した給料を『我慢料』とも呼ばれますが、私はその考え方が、奴隷のように思えて好きではありません。
確かに、会社勤め(パートでもそうですが)をしていると、理不尽な対応されたり、責任を押し付けられたり、イライラしているからと言って暴言はかれたり…そういったことに我慢して仕事をするから『我慢料』と呼ぶのは分かります。
組織の中で働くことは苦しみを味わうものだとか、理不尽を受けても耐えるのも仕事だとか、『理不尽な対応をするのも・受けるのも、もうやめませんか?』と私は思うのです。
『お給料は我慢料』と言う言葉は、まるでお給料をもらっている以上、理不尽なこと(パワハラ・モラハラ)をされても我慢することが当たり前、我慢するのが正しい学び、かのように表現されていて非常に残念に感じています。
ハラスメントをなくし、もう一段階上の成長を目指して働きませんか?
人生の大半は時間は睡眠に費やされ、その次に仕事に費やされています。
睡眠や仕事に費やす時間を考慮しますと、人生の中で自由に使える時間はたった8年だけだそうです。(※1)
自分の会社でもない、愛着もない、自分の好きでもない仕事に就いて、生活の為に安月給で働かされ、ハラスメントや理不尽を受ける組織で、人生の大半を過ごす…なぜ、自分の人生や家族との人生(時間)を優先されず、仕事が優先となるのか…その大半の理由は『食べていくため、食べさせていくため』だと思います。
しかし、なぜにお金を稼ぐことが非常に苦しいものだとされるのか、生活を続けていくことを苦しいものへとされるのか、不思議です…。
自分自身を家族を食べさせていくための『お給料』というのは、自分の人生の時間を犠牲にして働く対価だと思います。
やるべき業務をやりつつ、自分のアイディアが通らない、仕事で失敗して怒られて自己嫌悪になったというのなら、それは”我慢”することが必要となりますが、他の社員に対し嫌がらせをしたわけではないのにも関わらず、上司や同僚から或いは部下から無下に扱われ続けることを我慢することが『お給料』ではないのです。
どんな社員も、相手から不快な思いを何日も何日も受けて、ストレスを溜めながら仕事をするために働く必要などないのです。
もしパワハラ・モラハラを受けたなら、その対価として給料を増やしていただきたいぐらいです。
なぜなら、パワハラ・モラハラは、業務とは関係ないことですから。
正社員であろうが、契約社員であろうが、パート・アルバイトであろうが、会社で働くということは『組織』で働くことであり、相手を尊重し、チームワークを大切に働くことが重要なのです。自分が『人の上に立つ仕事』に就いているならば、それはより一層大事なスキルです。
給料=我慢料ではなく、もっと肯定的・明るい印象に!
正社員であろうが、契約社員であろうが、パート・アルバイトさんだろうが、どの社員さんも、その人の人生の時間を使って会社に貢献してくださっているのです。
自分の時間を犠牲にして『労働』をしているのです。
お給料とは、自分の人生を犠牲にし、もっと会社や社会をよくしていくために、働いている尊いものです。一生懸命働いた尊いものです。
お給料は理不尽にも耐えた対価ではなく、皆で力を合わせて頑張った尊さの証。
会社の上層部だけでなく、多くの方が『お給料』をそういうイメージで捉えてくださったなら、よりよいお金の生み出し方ができると思いますし、組織内の倫理観やチームワークが高まる、そんな気がします。
※1参考資料:FIERTE AVANTグループコラム,2019-02-27,張 倩,『人生をもっと効率的に』
\生きづらさを感じる組織に/