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人助けしようとしたら加害者でした。

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人助けするなら人を選べ

人助けをするなら、人を見て人助けをしましょう

人助けをするなら、助けがいのある人だけ助けましょう

この言葉を聞いて、皆さんはどう感じましたか?

恐ろしい人だな、冷酷な人だなと感じる人もいるでしょう。

この言葉は、信頼のおける人からいただいたアドバイスのひとつでした。

人助け…それは、高い倫理と道徳心によって人が、人の心が優しく、社会が平和になる行いかと思います。  

しかし私は、やみくもに人助けをするよりも『人を見て人助けをする・助けがいのある人だけ助ける』ことの重要性を体験して移行、上記の言葉を頭に入れて過ごすようになりました。

相手の苦しみの”背景”を知らなければ、手助けも全く別の意味を成す

目の前で困っている人・苦しんでいる人がいると助けたくなる気持ち、よく分かります。

私も、これを読んでいるあなたも、目の前に困っている人や悩んでいる人がいたら、まず手を差し伸べ、助けようとするのではないでしょうか。 

それに、困っている人を助けるにあたり、

  • 相手がどんな人物(生い立ちや職業など)なのか
  • 困る出来事が起こってしまった経緯や背景は何か etc.,

それらの事情や背景を知ってから人助けしようなんて思いますか?

多くの方は電車や道端で困っている見ず知らず人がいたなら、わざわざ困っている人の生い立ちや職業、困る出来事が起こってしまった事情や背景など関係なく、すぐ手を差し伸べるのではないでしょうか。

見ず知らずの人が困っているならば、あなたの手助けがその一瞬で終わるならばそれでよいのかもしれません(※状況によって違ってくることもあるのかもしれませんが) 

しかし、見ず知らずではなく、極めてあなたに近いところにいる人(e.g., 知人・友人)を助ける場合、そして、手助けする内容によっては、その人が一体どういう人物なのか、困っている状況に陥った背景等を知らなければ、あなたの”手助け”は全く別の意味を成す場合もあるのです。

例えば、あなたが手助けしようとしている人は、加害者かもしれませんし、あなたがまさに差し出した手は、犯罪に利用されるかもしれないのです。そうではなくても、あなたを下手に見て、あなたを利用したり、問題に巻き込まれたり、振り回すようなことになることもあるのです。    

困っている人・苦しんでいる人が加害者だった話

下記は、人を助けようとしたら、加害者だったという経験談(一例)です:

随分と前、とある趣味のサークルに入っていたのですが、同じサークルにいた無職の男性Aが生活に困っている話を聞きました。私としては、生活に困っている割には月謝5000円はするサークルには毎月来れるんだ…と違和感を感じていたのですが、周囲の人は熱心にサークル活動に取り組む男性Aに、食事をご馳走したり、物や家具をあげたりと和気あいあいと交友関係を続けていました。 

しかし男性Aは、過去に人を騙してお金をとり、そのお金を遊びに使ってしまい、多額の借金を抱えていたという、所謂、加害者的な立場だったことを本人の口から知りました。

その事実を知っている人も(知らない人も)、男性Aと交友や手助けを続けていたのです。

男性Aが生活で苦しんでいる原因は、自業自得で苦しんでいるだけだったのです。

しかし、生活が苦しくなった背景・事実を知ってか知らずか(恐らく周囲の人は知っていたと思います)、同じサークル仲間は、男性Aを『努力する人、苦労人、頑張っているのに報われない可哀そうな人、助けたくなる人』といった印象で見ていたようで評価が高く、熱心に彼に支援をしているようでした。

個人的な価値観による感想ではありますが、男性Aを助けるということは、過去(場合によっては未来)、男性Aによって傷つけられた人の心の痛みを無視していることとなり、なぜ被害に合った人が救われず、人を騙してお金を取った人が料理をご馳走してもらったり、色々な人から家具やら物を色々もらって苦しむどころか喜びに溢れて生活しているのか疑問です。

この世の中にはもっとひどく悲しい事件があり、善良な人ばかりではありません。

(事情を知らなければ仕方ないのかもしれませんが)手助けしたい人が一体どんな人物なのか知らず・調べずに、だれかれ構わず手助けをしていると、あなたの”人助け”は全く違う意味を持つこともあり、お相手が悪質の場合は、あなたが手助けが、誰かを傷つけたり、場合によっては加害や犯罪の加担となっている可能性もあるので要注意だなと思いました。

自業自得で苦労している人、助けがいのない人を助ける必要はなし

今、苦しい人生を歩んでいる人の中には、周りの人を不幸にし、警察に捕まり、自業自得によってそのような人生を歩んでいる人もいるかと思います。

加害者を助けたいという価値観を持った人も必ずいると思いますし、そう思うならば、自己責任で助けてあげればよいと思いますが、上記のような自業自得でお金に困っている反省の色もない人を何年も甘やかすような手助けではなく、反省を促し自立させてあげられるようにするのが、”仲間による本当の手助け”ではないでしょうか。例え過ちを犯したとしても、それをしっかり反省し、これからは真面目に頑張ろうと努力している人は、必ず態度や言動、顔にも表れてきますし、そのような姿を見れた時、手助けした側も”助けがいがあった”と言えるのではないでしょうか。

また、加害者ではなく一般人であっても、所謂、”関わらない方がいい人”を助けることで、人生被ることもあります。

例えば、助けてあげた人から裏切られたり、助けた後にあなたを見下し、あなたからの優しさをいいように利用したり、まるであなたが『助け損』のようになってしまうということもあります。

私自身『助け損』の経験があるので、特に身近にいる人を助ける場合は慎重になる必要があるなと感じています。 

所謂、”関わらない方がいい人”においても、苦労している原因が”自業自得”なことが多いので、関わらない方が身のためです。

先述しましたが、電車や道端などで見ず知らずの人が困っていたならば、その人の生い立ちや職業、どういった人柄を知る由はありませんので、どんどん助ければよいと思います。

しかし、身近にいる友人や知人などを助ける場合(特に知り合ったばかりの人)は、手を差し伸べる前にお相手がどういう人なのかよく目を見開いて判断することも大切かと思います。

\私が出会った関わらない方がいい人/

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