『お金、資産、地位、名誉はあの世にはもっていけない』
この言葉は既に皆さまもご存知だと思います。
今あるご自宅も、ふるさとと呼べる場所も、通帳に記帳されている残高も、地位も名誉も名声も、あの世にはもって行けないのです。
あなたが臨終する時に、必ず手放さなければならない物なのです。
しかし、残りの人生あと50年、30年もあるという時に、無一文になり、自宅も仕事も全て失ったらどう思いますか?
お金が足りなくて、どうしようと不安になるかと思います。
ハイスペック⇒生活保護へ
良く知る人で、医者や弁護士といったハイスペックな職業に就いていた人が、生活保護受給者になった人がいます。
その人は、『ハイスペックな職業に就けない人は、低レベルでバカな人間だ』と言い、周囲の人を不快にしていた人でした。
何十年後、因果応報が返り、その人は『 『ハイスペックな職業に就けない人』よりも年収が低くなり、介護生活となり、生活保護となったのです。
あれだけ俺はハイスペックな人間なんだ!と天狗になっていた人が、生活保護になり、恥ずかしくなってうつ病にでもなっているかと思ったのですが、『諦観力』があるのでしょう、当時より心穏やかに、静かに暮らしているそうです。
諦観力とは?
物事が起きる原因には、因と果があります。
物事が起きた原因を観察し、現実を受け入れ、諦めることを”諦観する”と言います。
生活保護になってしまった元ハイスペックの当の本人は、医者や弁護士の資格を持っておきながら、生活保護受給者になるなんて、夢にも思っていなかったと思います。
私がもし同じ立場だったら、長い時間とお金をかけて勉強し、国家試験に通り、人々の為に働いていたのに、ましてや他の人より裕福に暮らしていたのに生活保護になるんだとショックを受け、うつ病になると思います。
ましてや当の本人は『医者と辯護士以外の人間は低レベルでバカな人間』と周囲に言い放っていたのですから、自分が生活保護受給者となり、さぞかし苦しんでいるのかと思ったのですが、以前より穏やかな心で人に接し明るく暮らしているそうです。
個人的な見解ではありますが、きっと、生活保護になってしまった因と果を見つめ、反省し、生活保護になってしまった現状を受け入れ、あれだけ自慢にしていた地位や名声、家や持ち物などもあっさり諦め、捨て去ることができた、”諦観力”のある人だったのでは?と思いました。
このお立場なら、地位や名声にしがみつき、プライドが傷つき、生活保護になってしまったことを責めて立ち直れないであろう人が、現実を受け入れ、諦め、心穏やかに暮らすなんてなかなか成し遂げられないすごいことと思います。
諦観力は心穏やかに暮らすためのスキル
人生は山あり谷あり。
これまで上手くいっていたことが、問題が起きたことで、積み上げてきた物が1晩で崩れ去ったり、問題を見なかったことにしたことで、数年後に大きなブーメランとなって返って全てを失う結果になることもあります。
物事には、必ず因と果があります。
人生の中で、にっちもさっちもいかないことが起きた場合、『諦観力』が今後の人生を救ってくれます。
しかし、人間は多くのしがらみに囲まれて生きているもの。
諦観力を身に着けるのも至難の業です。
ただ、『諦観力』という言葉だけでも覚えているだけで救いになるかもしれません。
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