先日、お散歩中に桜をみつけたのですが、大切なことを教えてもらいました。
4月半ばに見る桜から学ぶ
4月の半ばに、近所の散歩をしていた時、1本のおもしろい桜の木を見つけました。
この桜の木のほとんどの枝が葉桜になっていたのですが、一部の枝だけ、桜が咲いていたのです。(上記写真参考)
この遅れて咲いてきた桜を見て私は、こんなことを思いました。
遅れて咲いたっていいじゃない?
どこかの誰かは、桜を見る機会を逃し、まだ咲いていた桜を見つけて、ようやく見れた!と喜ぶ人もいるでしょう。
周りに合わせて咲くことを強要する・される必要なんてない。
自分の生き方を大切にしよう。
人と違っていいし、自分の生き方を大切にしていい
この遅れて咲いた桜の花は、きっとのんびりした性格だったのかもしれませんし、寒暖の差が激しくて、成長が遅れてしまったのかもしれませんし、もしかすると、わざわざ4月の半ばに咲くことを選んで咲いたのかもしれません。
どんな背景があったにせよ、この桜はちゃんとキレイに咲いて、命を全うしていました。
他の桜の木は、のんびりゆっくり咲いた桜の花に対し、こんな言葉をかけたり、思ったりするでしょうか…。
- 遅いんだよ
- 周囲と合わせろよ
- 周囲と合わせられないなんて協調性がないし、マナーがなってない
- ひとりだけ目立って、気に食わないヤツ
- あいつは俺より劣ってる
- なんか気に食わないから、仲間外れにしてやる
恐らく、桜の木はこんなことは思わないと思います。
人間は競争ばかり…
一方、人間は「違い」を持つ人に対して、出る杭は打つが如く相手を叩いたり、八つ当たりしたり、嫉妬したり、妬んだり、恨んだりする人が存在しています。
しかし、相手が持つ「違い」により、ちょっとした気分不快を味わったとしても、自分の人生を左右されるような大きな被害を受けていないのであれば、自分のものさしを使って、相手に嫌がらせしたり、いじめたりするような制裁を下すことは誰の役割でもないのです。
誰もがたった1度の人生を生きています。
しかし、この社会にはルールやマナーがあったり、お金がないと生きていけないといったしがらみや、理性的な面を忘れてはいけないこともたくさんあり、なかなか自分の思い通りに・自由に生きていけない人が多いのかもしれません。
しかし、社会のルールやマナー、しがらみといったものは、時に時代遅れになり、その基準が大きく変わっていくこともあるのです。その例が、今回の新型コロナウィルスの出現です。
新型コロナウィルスにより、働き方や暮らし方が大きく変わりましたし、命や人生の尊さや自分自身の生き方について考えさせられた人も多くいるかと思います。これらの変化は我々の思考停止した価値観を変えたと私は思います。
多様性が叫ばれている現代、イノベーションが盛んな現代、発達障害への理解が徐々に社会に周知されるようになった現代、新型コロナウィルスといった大きなインパクトによる社会変化により、少しずつ「みなと一緒」といった集団的な考えから、「個」への評価と尊重が高まりつつあり、今後益々、個を尊重する文化が加速し、生きやすい世の中が来るのではないかと私は思います。
そんな中、「違い」を尊重できず”出る杭は打つ”の精神で叩く人は、「無知であることの証」なのではないかと私は思います。
今後益々、「個」を尊重する文化が加速するとはいえ、まだまだ生きづらさを感じる社会かと思います。
しかし、先日みた桜の花のように、ゆっくり咲いてみたり、「あれ?咲く時期を間違ってしまった?!」と焦ってしまっても、それはそれでいいよねと失敗も楽しんだり、もともと持っている「素」の自分を大切に、自分の生き方を肯定して、一生懸命生きて参りたいと思います。
※1参照元:ウェザーニュース、2021‐03‐17、第六回桜開花予想2021、「今年の桜開花 観測史上最も早い記録が続出 東京は23日(火)に満開へ」